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竹久夢二本舗敷島堂株式会社の敷島の由来

社名の由来は先代がこの和歌の枕詞から引用したものです。
敷島の は 大和 にかかる枕詞で 敷島 は 日本 という意味で、日本の和の心をお菓子に込めてたくさんの人たちの心をお菓子で満たしたいと言う 創業者の想いから「敷島堂」と名づけました。

竹久夢二のお菓子を作り始めた由来

昭和23年2月に創業した敷島堂。小さな町でお菓子屋を営んでいた先代「眞殿冨重」は昭和48年にご縁を頂きました。
邑久町の郷土史を研究しておられた尾上隆志さんを始め赤枝秀夫さん(香城先生)、岡村昌夫先生、原野弥さんが「折角邑久町と言う竹久夢二の生家に一番近い場所でお菓子屋を営んでいるのだから 夢二に因んだお菓子を作ってはどうか?」とお話をくださいました。
そして、夢二の長男「虹之助さん」と夢二の旧友である有本芳水先生をご紹介くださり推薦の書を書いてくださいました。
夢二の長男虹之助さんは父の名のついたお菓子ができることは非常に喜ばしいことだと快諾して頂きました。
その後、夢二に因んだお菓子が次々と発売され社名に竹久夢二を冠するようになったのです。

有本芳水氏 推薦状

山は紫 水美しく 野は緑色濃き邑久の里 明治大正の頃 画家として一世を風靡した 竹久夢二はここに生れた情趣に充ち
気品高く多様さに溢れた夢二の絵に 多くの人はしんぞこひきつけられ 魂をゆさぶられ 喜びに包まれた 郷愁詩人夢二は 郷土の山河 草木に心を馳せ
思ひでの山 思ひ出の川を絵にし詩にもした その絵は その詩は 今も多くの人の心の中に生きている 郷土邑久の里では
夢二がここに生れたことを誇りとし ここにそのあらわれとして銘菓「夢二」をつくり あまねく世におくることになった まことに欣ばしい限りである

旧友 有本 芳水

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